すみっこ(ウクライナ)で見た、聞いた、考えた

ゲンダイオンガク(現代音楽)

何故だか所謂”ゲンダイオンガク”なるものをきくようになった。
調性のない”キチガイ”音楽じゃない? というのはもっとも、とは思わぬまでも、何が楽しくてきくのかサッパリ、、、? だった。
それなのに何故か、このところCD棚から選ぶのはこれらの音楽ばかり。シェーンベルクやウェーベルンを筆頭にシチェドリンとグバイドゥーリナが主なところ。

”マルテの手記”の中に、ベートーヴェンの音楽が、自分を連れ去って二度とこちら側へ戻ってこれなくなるかもしれないので音楽を聴けない、とかいう部分がある。メロディーが感情にダイレクトに影響を及ぼす調性音楽はこちらに没我を促す。それは心に踏み込んでくる為(音楽の楽しみは心を蹂躪される楽しみでもある)、ときにわずらわしい。
はじめから感情的同調を拒否した(容易に許さない、というべきか)音楽が、きいている最中ですら音楽だけに耽溺できなくなった己に合うのだ。


おりしもブーレーズが指揮したシカゴ響のケルン公演のDVDがありストラヴィンスキーの”火の鳥”をみたら、バレンボイムと10分ほど対談していて無調について語っていた。バレンボイムの英語が酷くてあまり理解できなかったのだが、要するに沢山きいて曲の語る語法を知ること、と言っていたようだ。演奏者ですら触れる機会が少なすぎるというのは確かにいただけない。

日本のコンサートでもチャイコフスキー、ベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトの有名曲ばかり演奏するのはいい加減卒業したらどうだろう?(これだけ多くのプロ・オーケストラが首都に集中し、しかもほとんど演目に差異がないという異常さ) 日本ではほとんどコンサートに行かなくなって久しいがこの国の音楽産業はスポンサーもそうだが、演奏家に主体性がなく圧倒的に堕落していると思う。レパートリー広げる努力を怠っているのは明らかだから。


ちなみに同じ日にゲルギエフ指揮(ウィーン・フィルだったか?)でバシュメットがシュニトケのヴィオラ協奏曲を弾いているDVDも見た。シュニトケはうっとりする旧来のメロディーラインに急にグロテスクな転調をかけるようなイメージがあるくらいしか知らないのだけど、自然に興味をひかれるようになった。
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# by exist2ok | 2004-09-14 01:05 | 音楽

12日(日) 第21回横浜かもんやま能

b0023505_16341179.jpg解説 (第一部・第二部とも):三宅晶子 (横浜国立大学教授)
<第一部>
 狂言「呼声」(大蔵流)茂山千五郎
 能「野宮-車之出」(喜多流)粟谷能夫
< 第二部>
 狂言「昆布売(こぶうり)」(大蔵流)茂山千五郎
 能「小鍛冶-黒頭」(観世流)観世銕之丞

さて、かもんやま能である。野宮は正直まだ良く分からない。こちらの観客としての程度が影響する演目だろう。
期待していたのは言うまでもなく銕之丞である。また、”小鍛冶”は作品としても動きが多く、半年前に国立能楽堂の若手能でみてもいるので敷居は低い。三宅先生もおっしゃっていたが、目を引くのは”黒頭”だ。普段、小鍛冶の後シテは赤頭に狐型の切り抜きのようなもの(汗)をつけるのだが、今回は黒頭の鬘のみ。しかも、面が小飛出ではなく般若に近い。衣装も袴が金箔で三角に切りあがった文様の並んだ強烈なもの。黒頭ではメリハリが利いた動きになる(とのこと)。
改めて銕之丞というシテの凄まじさを確認した。前シテで橋掛かりに立っているだけで、気力の漲った身体が緊張で張り詰めているのがわかる(因みにこちらの面も”童子”ではなく”喝食(かっしき)”であったようだ)。能の凄さ、そして見る楽しさはここにあるのだ。
後シテではこれまたワキの達人宝生閑が相手役であり、この二人でもって完全に”小鍛冶”という作品を食ってしまっていた。作品のレベルがこの達人二人の腕前を表現するだけの内容を持っていなかった。あっという間に終わってしまったのが至極残念だ。

銕之丞は10月1日は品川薪能で”高砂”を、6日は銕仙会で”兼平”を舞う予定を把握している。が、チケットは確保できていない。
僕は音楽でもすごいと感じたことはあるが、この九世観世銕之丞氏に対するほど麻薬的に、それがなければ夜も日もあけないというものはなかった。自分の同時代でそういう再現芸術の担い手が存在するとも思わなかった。何しろ、巨匠不在の時代である。だが、いた。しかも、日本人でなければその十全な理解の可能性は極端に狭められてしまうという自国の芸術において。十分に味わい尽くしたいものだと思う。何年かかるか分からないが、能楽のより多くを理解できるようになりたいものだ。
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# by exist2ok | 2004-09-12 09:05 | お能

ライカ犬、とか

ネットを見ているとたまに面白い物を発見する(注)。ライカ犬のクドリャフカのお話。ちょっとほろりときました。

非常に薄いところで他人に愛想良くしている内に、人に共感しない人間になってきた、と我ながら思う。無感動に気が付くと気が滅入る。しかし、こうした半鬱状態は日本を出たとたん取るに足らないものになってしまう。日本人には”ひきこもりの素質がある”というが。

感傷としての日本人、をどこまでも殺し尽くすこと。その準備をする為にぼくは”能”を見てる、といったら突飛に聞えるだろうか? ぼくにとって少なくとも、能は感情的自己同一化の反復のためにあるのではない。外側からの確認するべきリファレンスである。

(注)かといって、価値があるという意味とイコールではないので残念だ。ここまで多くの有象無象がネットで個人の”つぶやき”を披瀝し、その背景を探ることなしにはそれらを理解することがほとんど不可能になってしまった現在、受け手の自分の中でそれらを纏め上げることにすら困難を感じる。結果、すべてはよそよそしいものに変化する。ぼくはもう人を理解しようとしなくなる。
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# by exist2ok | 2004-09-10 05:23 | 雑感

バービ・ヤール

ショスタコーヴィチがエフトゥシェンコの詩に曲をつけて交響曲第十三番としたことで有名になった場所。ウクライナのキエフ郊外に位置するとのことで、そのうち訪れることになるはずなので調べてみた。関連記事はこちら
竹内高明のウクライナ通信より。


(注)上のリンク先の親元ウェブサイト。
いまだにこういう活動を行なっている人がいるのに気が付くと頭が下がる。もう6~7年前になるが写真家 本橋成一氏の ”ナージャの村”という映画を大学の友人と東中野へ見に行ったことがある。緑は戻り、一見変哲のない農村。だが、村人はみな甲状腺を切り取ったあとがあったのを鮮烈な印象で今でも思い出す。
原爆は今も落ちつづけている、とは誰が言った言葉だったか。ナイーブすぎる気がしないでもないが、正しいことを正しい分だけ言ったのでは、誰も気付いてくれないのだろう。
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# by exist2ok | 2004-09-09 23:53 | 音楽

国立能楽堂 定例公演

2004年9月8日(水)

能   敦盛(あつもり) 大坪喜美雄(宝生流)

b0023505_12542628.jpg
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# by exist2ok | 2004-09-09 04:39 | お能



メキシコ、N.Y. L.A.そして現在はウクライナのハリコフ市に住むおがわがお伝えします。コメント・TB大歓迎です。どんどん絡んでくださいね。
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