すみっこ(ウクライナ)で見た、聞いた、考えた

<   2005年 08月 ( 5 )   > この月の画像一覧

ウクライナの結婚斡旋業の実態、っていうかそんなもんちょっと考えれば分かるだろってことについて

ウクライナで検索してヒットした中で一番目につくものはなんでしょうか? 国際結婚。あとはお見合い、とかデートとか。ということで、みんなが一番知りたいウクライナのことについて今日は書いてみる。

この前まで日本語教えていた女の子がこの外国人とのデート斡旋エージェントをしているという話を人づてに聞いた。また、ネット・カフェでは英語話者が「ナターシャ(仮名)ちゃんとデートがしたいんだけど、彼女いつ頃休みから帰ってきますか?」とかインカムで話すのを耳にしたこともある。そんなに白人女を欲しい人が多いんでしょうか。よくわかりません。
でも、ぼくは客にはならないけどビジネスの仕手には興味がある。というのはいまウクライナ手持ちの国内資源で外国とビジネスする材料って現実として皆無に等しいもの。オデッサとかクリミヤをリゾート開発するっていうのもひとつだが、今の時点では美女を輸出するくらいしかないでしょう。

本当に機会がないというのなら、出会いのチャンスをお金でゲットするというのもありかな、という気はする。でも、なんでもそうなんだけど、きっかけは色々な手段があるけど、関係を維持するのってお金だけじゃ駄目だし結構たいへんだ。

しかもメンタリティーが違うからその意識の差を何で埋めるかということが重要になってくる。経済だけで見ても日本は世界トップレベルの生活水準を達成して、人々の第一の関心は金銭や生活水準にはない。一方、ウクライナは低賃金とコネの塊のような社会構造でまじめな人が馬鹿を見る、生き馬の眼を抜く社会。人を騙してでも、優位に立たなければならないという無意識の社会的プレッシャーが存在する。他人から金巻き上げてやろうって連中がそこら中に満ちている。大学の教師からしてそんな連中ばかり。テスト難しくして賄賂要求とか(すごいよね)。

日本人とウクライナ人とのパラダイムにはかなりの開きがある。だから日本的情緒など向こうには分からないし、男は黙ってキリンだかアサヒビールって日本男児なことをのたまっても、そんな無言の努力は一切認めてもらえない。しんみりする心の交流とかもあり得ない。要するに安らげないから。逆に、徹底的にロゴス中心によるプレゼン能力が問われることになる。もちろん十分な経済的安定性を大、大、大前提にしての話だが。

それでお金払いました、女の子たちと会えました。続ける自信ありますか、って話。また、自信があっても、続くかどうかって別の話でもあるし。厳しいです。まず、自らその子が暮らしている世界に飛び込んで、腰を落ち着けて社会丸ごとその人間を見る努力をしなきゃ(それって言語の習得と同じ)。一本釣りで掛かったときはヤッタ!って思うかもしれないけど、後で見てみて「それどこの海で獲れた魚ですか?」って確認したら汚染されまくりだったって洒落でもなんでもない。

学生の女の子にも何人かいる、方々からの「出戻り」が。結局、溝が埋まらなかった例でしょう。でも、平気なもんです。彼女らにしてみれば出発地点のゼロに戻っただけだから。むしろ、英語とか日本語がしゃべれるようになって得しちゃったとか思ってるかもしれない。
ウクライナの女がすべて馬鹿ではないし、また金の亡者でもない。でも、外国人専用の結婚斡旋業に登録する女の子ってどんな子なんでしょうね? 男が欲しいのは女そのものですが女の方が欲しいのは「男そのもの」ではない。男の持ってる「何か」ですよ(下ネタじゃないから、「何か」って)。

あー、あと20歳過ぎて未経験ってことはまずありません。可愛い子ならなおさらです。これは日本以上に進んでいる可能性あり。他にすることもないから早いんでしょう。
三十過ぎて素人童貞って人(日本には多いと思うけど)は厳しいでしょう。なにがって、コミュニケーション能力の点で。

あと、結婚じゃなくて素人の子と出会って後腐れのないセックスを楽しみたい、って場合は、むしろこっちが教えて欲しいくらいです。連絡待ってます、というオチ。
今回は恐ろしく俗悪な、にもかかわらず非常に有益な文章を書いた気がする。誇張したけどかなり正鵠を射ている。お題にも書いたが、ちょっと想像力を働かせれば分かることなんだけど、大体の人が色ボケて判断力を停止させている。だから、これは大丈夫とか、今度は大丈夫、とかいうことを幾度でも繰り返す。
どうしても可能性を信じたい人には「ご利用は計画的に」とか「健康を損なう恐れがあるので吸い過ぎに注意」とか言う他ない。結局すべて自己責任。騙されたなんて口が避けても言わないことだ。

すみっこ(ウクライナ)で見た、聞いた、考えた
[PR]
by exist2ok | 2005-08-31 20:42 | 雑感

外国で生きること

「ウクライナで考えたっていうのに、ひとつもウクライナのことが取り上げられてないじゃない」と訊かれるかもしれない。でもね、外国で暮らすということは、己の中のナショナリティ(ナショナリズムではない。履き違えいている人もいるが)に気がつき、内向するということであり、何処で何があったという表面的な事象とはほとんど関係がないの。

だからぼくは常に言う「旅行するなら日本国内がいいよね」って。外国は住むところであって、旅行などで満足感以外何も得るものなどない。だったら日本国内の温泉めぐりがはるかにマシ。
そうでなければ、まったく異質な物珍しさと割り切って見るだけである。だから、そういう旅行は名所だけで十分(旅行中の人との出会い云々とか聞くと馬鹿かと思う。日本人宿に多いんですよ、この手の自慢話したがる人)。むしろそういうの(ゴシック建築教会巡りの旅とか)は大いにしてみたい。


外国で暮らしている人間には二種類ある。ひとつは海外赴任の会社員その他(まあ、留学生も含めていい)。あとはすべてチンピラ、ヤクザの類。つまり、日本国内でまともに社会適応できない山師が海外に漂流しているだけ。言い切っていい。この大半は現地の言葉をまともにしゃべることが出来ないのは当たり前で、そもそも日本語があやしい。

日本語が通じない。ここでいう日本語というのは「歴史を縦軸に、社会慣習を横軸にもつ日本文化に基づいた言語」ということである。日本社会に適応できないのだから当然この意味での共通事項としての日本語が出来るはずがない。

だからチンピラの自分、チンピラでしかない自分は、今出来ること「外国語を習得すること」「『日本語』を磨くこと」に全力を尽くす訳である。そういうことに気をつけて地道に生きて行こうという素晴らしい人たちにも会いました。でも少ないです。

「本当の生活が見たいんですよ」って言うトラベラー多いけど、ぼくはもう本当の生活見すぎてうんざりだからこれからは美しいものだけを見たいな、って切に思う。それに「本当の生活」なんて日本にあるじゃない。
目の前の寝たきりのじいちゃんばあちゃんほったらかして、どっか別のところにある本当の生活見たいってのは本末転倒じゃあないかね。それに横軸を広げていった先にあるアントロポロジカルな「生活」なんてテレビであふれてる。そういうところに自分を割り込ませなきゃ我慢できないわけ?

結局あくまで関わることには絶対拒否という態度がこうした「見る」にはあるとしか思えない。だからぼくはもう「見」たくなどないし、下らないものに関わりたくもない。ということは、人が用意した既存のものに乗っかってちゃ駄目ってこと。自分で作り出すもの以外に本物なんてありゃしない。


すみっこ(ウクライナ)で見た、聞いた、考えた
[PR]
by exist2ok | 2005-08-31 20:39 | 雑感

竹内理三『日本の歴史6 武士の登場』

「平家物語」の読解補助のために持ってきたが、歴史的な全体の見通し、各論ともに明快かつ詳細で面白かったため、足掛け三日で読破してしまった。
解説の入間田氏によると竹内の論旨は古典学説であり、現在では異とされる部分も多いとのこと。とくに武士の起源に関してはいまだ議論の余地ありで、一概に私営田領主が配下農民に対抗する強制力としてさむらい化したものがはじまりとは言い切れないらしい。まあ、そこら辺の起源説は研究者ではない自分にとってはどうでもいいことである。

どんな時代でも転換に際してのキーパーソンはいるのだが、そういう人が有能だったり無能だったりするわけで、権力者がいかなる人物かで全体に与える影響が変化するのが興味深いところ。藤原清衡、後三条天皇、藤原頼長、藤原信西入道、後白河法皇が。清衡は奥州藤原氏の祖で、『炎立つ』はNHK大河ドラマで見た向きも多かろうと思うが、生い立ちの複雑さから身につけた政治感覚が奥州をまとめるまでになる。後三条天皇は摂関政治に一瞬開いた空白にあらわれた名君で公正な人柄に好感が持てる。在位が五年足らずというのがもったいない。荘園整理の他に、宣旨枡も定めていたとは知らなかった。以下の三人は奇人と思わせる類のエピソードが可笑しい。すさまじい読書家でもある杓子定規な頼長は政治でもぜんぜん妥協しないで周りから恨みをかってしまう。この人は政治なんかやらない方が幸せに生きられただろう。
信西入道は博覧強記の才人で出世後にわがまましずぎたため平治の乱で殺されてしまうが、宋の商人が来たときに中国語で世間話をはじめて人を驚かせる話がある。きかれて「もしかしたら遣唐使になることがあるかもしれないからこっそり勉強してたんだ」なんてさらりと答えるあたりが振るっている。
後白河法皇は今様好きが高じて「梁塵秘抄」まで作るほどだが、その打ち込み方が只者ではない。鳥羽上皇はじめ貴族から白い目で見られているのに、貴賎上下を問わず今様の名人だと聞くや召し連れたり出向いたりして、のどがかれてもう歌えなくなってもまだ打ち込んだというのだからすごい。今様ははやりの歌謡曲のことで、たしかにいま天皇陛下がモー娘とかにこりだしたら、、、と考えると後白河のハチャメチャぶりが想像つくというもの。


すみっこ(ウクライナ)で見た、聞いた、考えた
[PR]
by exist2ok | 2005-08-12 21:12 | 読書

三発目の原爆は日本に落ちる

ヒロシマ、ナガサキから六十年。折り返し地点である半世紀を過ぎて早や十年。特にここ数年で五十周年を記念した十年前と「戦争」にたいする社会の空気が明らかに違う。それが何を意味するのか分からない(短絡的に「軍国主義化への道再び」とは言わない。そんなことは有得ない)。しかし近世以降の日本人は明らかに何かが狂ってしまっている。そして基本的にその「狂い」は今でも温存されていると思わざるを得ない。
森有正のエッセーに、あるフランス人の女学生と雑談の最中に「三発目の原子爆弾は日本に落ちると思います」といわれて絶句してしまう場面がある。森が絶句したのは、彼女の言葉が思いもよらなかったからではなく、その反対にまったく当然のことのように納得できてしまった自分自身に驚いたことが原因だった。それはなぜか、というところに森の思索の核心に触れる部分があるのだが、簡単に言ってしまえば、日本人には自己規定能力が欠如しているということ(詳しいことはちくま文芸文庫の「エッセー集成 五巻」を参照)。
それは己自身で自己を規定し、そして環境に即して自律的に自己修正を行っていくこと。日本人のあり方を森は「二項方式」と名づけているが、常に他者を介在した規定によってしか己のあり方を図ることができないことである。まず個としての己があってその後他者に出会うのではなく、他者がいなければ己もないというところに「日本」の問題がある。森は一項方式に触れると二項方式はかならず崩壊するともいう。
これまでの日本人は慣性・惰性的全体主義の画一性においては絶大な生産性を発揮する能力があるが、向かうべき方向を変更する自己修正能力には全く疎いこと、そして圧倒的他者の介入なしには自滅するまで修正できないこと。「原子爆弾」とは象徴なのか、もしくは米・中・朝のいずれのものであれ文字通りの「そのもの」なのか否かは落ちてみるまでわからない。落ちてはじめてそうだったことに気がつく。


すみっこ(ウクライナ)で見た、聞いた、考えた
[PR]
by exist2ok | 2005-08-12 21:10 | 雑感

一時的に自宅で休養中

英語でエドマンド・バークの「フランス革命の省察」がよみたくなり、キエフの本屋をいくつか回ったが見つからなかった。かわりにクラウゼヴィッツの「戦争論」を購入。内容の難解さに比べて、英訳は意味を尊重した意訳に近いものとのことで、言葉として理解不能な部分はあまりない。まあ、たいしたことのない自分の英語力で読むんだから誤読ばかりかもしれないが、あくまでも楽しみのために読むんだからこれでいいと思ってる。
こうして外国語書籍に毎日触れていると、読解ではなんだかんだ言って英語が一番わかるのである。スペイン語は話せるが語彙力はそれほどないし、自分のメインになるはずのロシヤ語はすべての面においてまだまだ未熟(村上春樹「ノルウェーの森」の訳を読んでいる最中だが)。ということで、継続的には一度もまじめに勉強したことのない英語が、意味だけはすらすら入ってくるんだから、中学からはじめて(させられて)から早や20年近くの蓄積というのは大きい、と改めて思った次第(20年でそれだけかよ、という話はとりあえず横に置いといて)。

「戦争論」は全訳ではないがおよそ400頁。いつ終わるのだか見当もつかない。確かに内容の軽い短編物を選べば楽しみながら訓練にもなると思う。その点では、ドイルやクリスティーなどの推理モノは最適だろうが、いかんせん肌に合わない。京極夏彦の京極堂シリーズで勉強になる探偵モノもあるということを知ったが、基本的に推理小説はテレビゲームとおなじ次元の暇(時間)つぶしの娯楽だと思う。テレビゲームというのは、もちろん子供の時にはずいぶんお世話になったしいまでもバイオハザードやホラー推理ゲーム、コーエーの歴史シュミレーションは好きだけど、やり終えたあとの無意味感がなんともやりきれないので今では一年に数日間くらいしかしない。それに従事した時間丸ごとただのウンコ製造機になるわけなので、、、。何一つ得るところがない。いやー、日本にはこういうことだけで人生を浪費している人間が何万もいると思うと怖いですね。マトリックスの保育器を思い出す。
でも、翻って言えば純粋の娯楽だけを求めるためには自分は欲が深すぎるのかもしれない。推理小説読者やテレビゲーマーのように与えられる快楽を次々消費することだけで満足できる無害で優しい人間になりたいと願う今日この頃。


すみっこ(ウクライナ)で見た、聞いた、考えた
[PR]
by exist2ok | 2005-08-07 21:02 | 読書



メキシコ、N.Y. L.A.そして現在はウクライナのハリコフ市に住むおがわがお伝えします。コメント・TB大歓迎です。どんどん絡んでくださいね。
カテゴリ
全体
お能
能楽リンク
音楽
読書
雑感
芸能
フォロー中のブログ
ライフログ
最新のトラックバック
テラびしょびしょw
from お・な・に・ぃ
負けても勝ち組w
from ドンパッチ
海外口座の開設サポート ..
from 海外口座の開設サポート グロ..
東京都新宿区簡易宿泊施設
from 東京都新宿区簡易宿泊施設の紹介
仙台ライオンズマンション
from 仙台ライオンズマンション情報
湯西川温泉観光
from 湯西川温泉観光案内
低所得者のモラル低下深刻..
from bogusnews
もう・・・今日は徹底的に..
from ブログアフィリエト・投資・メ..
児童・生徒の安全確保のた..
from PTAメールセンター
ロシアの外貨準備
from 為替王
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧