すみっこ(ウクライナ)で見た、聞いた、考えた

カテゴリ:音楽( 15 )

ハリコフ・フィル演奏会 10/29(土) 18:00

ヴァイオリン:ナジェージダ・トカレヴァ
ブラームス 交響曲第三番、パガニーニ ヴァイオリン協奏曲、サラサーテ チゴイネルワイゼン

晩秋の気配が濃くなっていくこの時期、ブラームスとはなかなか気の利いた選曲だ。ブラームスの他の交響曲と比べると目立たない曲ではあるが、しかし、芸術的に劣っているわけではない。第一と終楽章は勇壮で力強く、見せ場も多くて聞きやすい。ブラームスの交響曲で他よりも早くぼくがこの曲にのめりこんだ理由はこの辺りにある。
二つの中間楽章はちゃんとブラームスの憂愁を伝えてくれている。この作曲家が、いわゆる天才ではないのだということが良くわかるが、それはブラームスの魅力をいささかも減じはしない。むしろ、時々の己の年齢に即していつでも新たに等身大の自己を静かに納得させてくれるという意味で、ブラームスほど「付き合い」をやめられない作曲家はいない。


曲解説でも言及されたが、パガニーニに比肩しうるヴァイオリニストはいないとされている。もちろん、確かめようはない訳だが、この協奏曲を通して作曲家の腕前を想像することができる。この超絶技巧曲を余裕綽々で弾きこなしたと言われる以上、非凡なことは間違いない。

クラシックの世界では自作自演や初演奏者の演奏が一番の名演奏ということがしばしばある。時代が下るにつれ演奏の技術は確実に上がっているにもかかわらず、昔の演奏を越えられない。許光俊『オレのクラシック』に「オレとピアソラ」と題する一文があるが、まさにこのことに言及している。音楽は技術を前提にしているにもかかわらず、技術で終わらない。恐ろしいことだ。

そしてその数値で測れない部分が決定的に重要なのだが、そういう演奏は本当にまれなのである。演奏会に行くことはある意味「博打」だし、だからこそ日本ではもう行くだけの勇気がぼくにはない。「能」の方がはるかに芸術的に奇跡を再現してくれる可能性が高いからである。


サラサーテはやはり盛り上がるので、演奏会の最後に持って来て正解だ。大絶賛の嵐を巻き起こし、アンコールでもう一度繰り返されたほどウケた。トカレヴァのヴァイオリンは線が細くなく、技巧的な面の得意な演奏者と感じた。


来週はいよいよウクライナの作曲家リャトシンスキーの交響曲第三番である。



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by exist2ok | 2005-10-29 23:48 | 音楽

ハリコフ・フィル演奏会10/22(土) 18:00

ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第五番『皇帝』」
ラヴェル「ピアノ協奏曲」「ボレロ」
ピアノ ナジェージダ・シュパレンコ

「ボレロ」を聴いたのはずいぶん前になる。ラヴェル自身の言葉どおり何が面白いのかわからないから、あえて聴こうとかCDを買おうとかいう気にならない曲である。今回のボレロは面白かった。まず、気がついたのが小太鼓のリズムの音の大きさ。本来、ここは聞こえるか否かというほどの弱音から始まるはずが、普通に叩いている。

で、さらに面白いのは、はじめは気がつかなかったが、テーマが一巡するごとにテンポが速まること。これは終盤間際には、今まで聞いたことがないほどのスピードになった。音の大きさもホールが室内楽用の小ホールで代用されているため、ここまで轟音だとすごいことになった。子供が聞いたら泣き出すよ。

この曲はそれぞれのソロ・パートを担当する独奏者の負担が大きい。各人の実力が明らかになってしまう。ストレスは結構あるんじゃないだろうか。序盤のホルンはソロで裏返ってそれ以降の部分をまったく吹けなくなってしまった。うーん、厳しい。終演後は指揮者から立たされなかったもの。


でも、今回はボレロのことを話したいのじゃなく、第一部のシュパレンコのピアノについて。普通のピアニストって協奏曲を弾くと大体本人が体質的に得意とする部分とそうでない部分がわかる。例えば、歌わせることが好きな場合、快速スピードでガンガン叩くようなところは弱かったり、とか。前回のショパンを弾いたミロフスカがそうだった。

でも、アメリカから来たナージャさんはもう、男前と言っていいくらい堂々たるベートーヴェン。本人は笑顔がちょっとおばちゃんみたいにかわいい娘さん(ぢつは結構タイプ)だけど、同じタイプで思いつくのはルドルフ・ケレール。もちろん、グールドみたいに極端ではないけど、ノン・レガートでかっちり弾く。かといってベートーヴェンの量感というか「ドワー」っとくるボリューム感はちゃんとある。ピアノではよほどのビッグネームじゃないかぎり「楽譜どおりに弾けたかどうか」を超えることのできるピアニストって案外少ない。
だから、ピアノを通して語るだけの何かを持っている人の演奏に出会えると本当にうれしくなる。一番良かったのは第一楽章と第二楽章。「英雄」に似た勇壮な第一と憧憬的な切なさのある第二。第二から終楽章が休止なしでつながっているというのは作曲家の天才だろうなぁとしみじみ思う。
ラヴェルのGメジャーの協奏曲はこれまたタイプががらっと変わってようございました。ただ、ヤンコとハリコフ・フィルは半年前もやってるよなぁ、この曲。今回彼女は誰かの代役で弾いたようなので、個人リサイタルがなかったのは残念。


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by exist2ok | 2005-10-22 21:27 | 音楽

ハリコフ・フィル演奏会10/15(土) 18:00

ショパンピアノ協奏曲第一番、ビゼー「カルメン」序曲、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェル「『ダフニスとクロエ』第二組曲」

ピアノ マリヤ・ミロフスカ

実は九月から何度かコンサート、オペラに通っていたが感想を書く気がしなかった。幾分、失望していた面があったからである。内容ではなくレパートリーに関して。
ウクライナのコネ社会の構造が見えてくるにしたがって、一々の現象面に当てはめるとレベルの低さの原因に至極納得がいくようになってきたということだ。ハリコフ・フィルに関して言えば、音楽院の友人や自分のピアノの先生などの指揮者ヤンコにたいする評価は厳しい。それはコネ社会の中でうまく立ち回る人物としてその品行を俎上にあげた意見ではあるのだが、一面納得せざるを得ない。それは演奏会の質に関わってくるからである。

僕自身はヤンコの指揮については、統率が甘く解釈も上っ面なのでもう一歩踏み込みが欲しいところだが、アタッカのかけ方、クレッシェンドの盛り上がり方などは気に入っている(こうした「あざとさ」だけの演奏も褒められたものではないにせよ)。
しかし、プログラムについてはいわゆる「楽をしている」としか思えない。およそ三ヶ月前にラフマニノフ・フェスがあった際にチャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏している。そして今月十月、再びそれが予定されていた(変更になった)。また、同様にラフマニノフの協奏曲第三番も今月頭に再演されている。レパートリーの狭さは、そのままオーケストラの仕事量の少なさと同義だ。なぜなら、数回の全体リハーサルとそれに先立つ個々の演奏家の勉強が必要だからである。同じ作品を使い回せば、全体であわせるだけで、一々勉強しなおす必要はない。
誰でも気がつくようなサボタージュが批判の目にさらされないということは、何らかの利害関係によって守られているとしか思えない。
個々の演奏家についても、ソロ・パートでかなり疑わしい音を出す者が散見されるが、オーケストラの側に演奏レベルを維持または向上させる機能が働かないとすれば、それはなぜなのかと問わざるをえない。オーケストラの楽団員になることは収入の確保であり生活保障であるという面が第一で、演奏レベルは二の次というのでは本末が転倒している。
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by exist2ok | 2005-10-15 21:25 | 音楽

ラフマニノフ・フェスの閉会演奏会

と思ってたら、なにやら表彰式がはじまるのであわてたが、音楽院で勉強する学生の歌唱コンクール入賞者の表彰とお披露目演奏が前半部であった。その中に三人も中国人が混じっていたのは驚いた。ムゼッタのワルツ、カヴァラドッシのアリア、オ・ソレ・ミヨなど歌った。一位のウクライナ青年のバスは完璧。風格も備えていて、ロシヤ系は先天的にバスに向いているのかも。何人かラフマニノフの歌曲を歌った人もあり、フェスティバルにかこつけるだけの体裁は、一応とれていた。

で、とにかく驚いたことはこの学生たち、本当にうまかったこと。声の出し方、音程のつけ方、教わって身につけることのできる勉強は遺漏なく習得していた。まことに見事としか言いようがない歌唱だった。彼らの歌ったアリアに関して言えば、これを下回るプロの演奏はいくらでもあるほどレベルは高い。なぜなら登場人物の性格分析をもとにした感情表現だけがかれらに残された課題であるほど技術的に完成されていたのだから。

昨年日本で、付き合いから学生やセミプロの演奏会に何度か行ったのだが、演奏そのものについては時間の無駄以外の何ものでもなかった。ハリコフの学生が出来たことが芸大や武蔵野音大、桐朋学園といった大学の出身者がまったく出来ていない。あれではプロとして通用することは難しい。結局、「私、音楽勉強していました」と言いたがったり子供のお稽古事にピアノをさせたりする主婦や音楽事務所の雑用になったり、プロとして通用しないが未練が捨てられないためだけの中途半端な演奏会を開いてるフリーターになったりする。日本は本当にオナニーが盛んな国なのである。

そんな折にドイツでは日本人演奏家が姿を消しつつあるという読売だったかの記事を読んだ。韓国や中国の学生はオペラ天国はイタリアではなくドイツだということをかぎつけ若いうちから殺到している。一方、日本人は正しくない教育を続けてきてその間違ったくせが直せなかったり、すで年齢的に手遅れだったりで学校にすら入れないという。また、技術的にも未熟でせっかく日系所属歌手の紹介で歌劇場のテストを受けることができてもドイツでは他の候補者を選ばざるをえないほど能力がないのだそうだ。
日本はすべてにおいて斜陽国家の面影がちらつく。


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by exist2ok | 2005-06-11 23:21 | 音楽

引き続きオペラ報告

プログラムは1グリブニャだが、すべてウクライナ語で書かれているのでお手上げ。
リセンコ「タラス・ブーリバ」はゴーゴリ原作のオペラ。タラス・ブーリバといえばヤナーチェクの交響詩だったか組曲だったが有名だが、こちらは完全なオペラ。コザックの親分でポーランドに対する抵抗闘争を行ったタラス・ブーリバ。あらすじを読んだ感じでは話は次男のアンドリイが死んだあとにどこかの城を攻め落とすまででおしまいになっている。リセンコというウクライナの作曲家の作風はまだ把握できていない。
この間アイーダ、トゥーランドットとみたが、出来はまあまあ。アイーダはラダメス役を除いて平均以上だったが、ラダメスのカリニチェンコがすべてをぶち壊していた印象。このテノールだめだわ。酔っ払いが嘔吐するような声の出し方で、まるで地方やくざの親分。悪役っぽい声でとにかく幻滅。蝶蝶さんのゴローがぴったりだろう。トゥーランドットのカラフはサムソンも歌ったテノール・ヴァシコフ。声に伸びがなくかすれた音色だが、がんばっているとおもう。「誰も寝てはならぬ」は十分堪能できたから。ドニェプルペトロフスクからきたというトゥーランドット姫のソプラノ・ヤノフスカは声量不足。低音と高音にもっと広がりが欲しいところ。
この先、一番楽しみなのはトスカだけど、誰がスカルピアをやるのか心配。一幕終わりのアリアをちゃんと歌ってくれれば何も文句はない。

今、ハリコフではラフマニノフ・フェスが開かれている。平日もジャズやコーラス、オルガンとラフマニノフを組み合わせたプログラムで演奏会が行われている模様。先週の28日(土)は久々にフィルハーモニーへ。パガニーニの主題による狂詩曲となぜかチャイコフスキーのピアノ・コンチェルト一番。オール・ラフマニノフで固めて欲しいところですよね。いやー、ユーリー・ヤンコすごすぎる。突進力がすさまじい。今回気がついたことは弦に力強さがあること。音楽に対する距離感がゼロで心底から自足している。この曲は自分の音楽なのだということに一点の曇りもない自信からしかこういう力強さはでてこない。
こういう音を聞いてしまうと、あらためて音楽は芸術なんだと思わせられる。当たり前じゃないか、って言う人は甘いですね。日本ではこんな響きはめったにお目にかかれない。日本の演奏家は音楽を工芸品のように扱う。いかに精緻に仕上げるかがとわれていて、曲にたいする共感など薬にしたくもありゃしない。いうならば蒔絵やサーカスを見ている感覚。感心するが感動しない。すごいね、こんなこともできるんだ、という種類。工芸品やサーカス見て泣く人はいません。再現芸術はあらわれた先から消滅していくが、そのときの観客の内面に美をよみがえらせる。
で今週土曜日はフェスティバルの閉会でピアノ・コンチェルト三番。

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by exist2ok | 2005-06-04 23:44 | 音楽

「お嬢ちゃんとごろつき」

ショスタコーヴィチ自身のモダニズムとプッチーニにも匹敵するメロディストの二つの面がよく表れていた。ここらへんのそつのない腕前はさずが片手間に映画音楽も手がける天才だと思う。
一幕のバレエ。時代設定は1920年代。筋はありがちで、やくざ者の青年が少女に恋をする。出会い、青年のバーでの恋煩い、何度もアタックするが拒絶される。その後、ごろつき仲間から少女を救ったことから親分と不和になり、少女に半分受け入れられたのもつかの間、諍いの拍子に刺されて死んでしまうというもの。部分的に「ボルト」と共通のメロディーが援用される。青年のテーマは第三番から。やくざ仲間・バーのテーマは第四番。
刺されて以降、青年が幻覚に少女を見、その後本当に現れた少女と出会って死ぬまでの間が聞きもの。この後半からクライマックスに至るまでの間に音楽が生きてくる。バレエでは言葉がない分踊りと音楽が人物の感情を代替するわけだが、音楽に説得力がないとバレエも生きてこないのはもちろんのこと。
それにしても、前日の「スペードの女王」でも感じたが、お国ものになると地方の劇場とはいえ迫力が違う。音楽が意味を担って鳴るのである。
どんなに音として磨き上げられていようが共感なく鳴る音は空虚だ。意味を放棄した空虚な音から追求できるのが響きの妙であることを思えば、たとえばシカゴ響がスーパーオーケストラと言われながら繰り返し聞きたくなるような録音をほとんど残せていない訳がわかってくる。
日曜日ということもあって大入りの大成功。というか、終演後に出演者に花束を渡す人がたくさんいたので知り合いが多かったのかと思われる。知り合い縁者によって盛り立てられた面も多分にある。こちらのコネ社会の文化様相といえる。


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by exist2ok | 2005-05-16 23:34 | 音楽

ショスタコーヴィチのバレエ

17日プレミアとなるショスタコーヴィチのバレエは「お嬢さんとやくざ者」(パンノーチュカ・イ・フリガン)。きいたことありませんね。値段から察するにオケの伴奏もちゃんとついているでしょう。って、そもそもそんなCDの存在知らないし。

12日のストラヴィンスキーのバレエ「ペトルーシュカ」「春の祭典」では伴奏は録音でした。バレエとしてはじめて見て、こういうものだったかと納得。
春の祭典はブーレーズの新録音の方をもっていたが(クリーブランド管弦楽団)そんなに聞き込んでいなかった。ストーリーもよく把握していないのだけど、バレエは抽象ダンスみたいなもので、衝撃というに近いものを受けた。
ハリコフのバレエ・オペラというのでレベルの低さについてはかなり覚悟して行ったのだけど、いい意味で予想を裏切ってくれた。すごくがんばってる。たしかに、バレエなら足の上がりは低いし、みんな全くそろっていない。雑駁である。美しくないのである(その点、2月に見たマイヤ・プリセツカヤの所属していた帝国バレエの「白鳥の湖」は次元が違った)。前座のペトルーシュカはもう時間の無駄と言っていい代物だった。
しかし春の祭典は地方都市の資金もない劇場で、しかもせいぜい200人の観衆を前に行われるにしては相当に気合の入った舞台だったと認めざるを得ない。少なくとも場面によっては鳥肌が立つほど。たとえば、東京でクラシックやオペラにしろ演劇にしろ聴いたり見たりして「腹の立つ」舞台は決して少なくないことを思えば、いかに「頑張っている」かが分かるでしょう。
劇場の写真は前回の投稿を見てもらうとして(かなり大きいですね)、大ホールの収容人数は目算では1500人くらい。予定表には公演が書かれているので小ホールもあるが見たことはない。音響はなかなか良いと思う。
オーケストラは専属のオケがあり指揮者も専属。楽団のメンバーはフィルハーモニーと掛け持ちしている訳ではないようだ。

五月の演目をさらってみると、リゴレット、白鳥の湖、ジゼル、イル・トロバトーレ、ペトルーシュカ、春の祭典、スペードの女王、お嬢さんとやくざ者、ボリス・ゴドゥノフ、サムソンとダリラ(すごいね! CD持ってないので予習してません)、タラス・ブーリバ、アイーダ、トゥーランドット、その他ウクライナのオペラもありますが名前覚えられません(今度調べてきます)。バレエでも名前をきいたこともないお国モノがあり、ちょっと分かりません。
オペラの感想はまた今度。


すみっこ(ウクライナ)で見た、聞いた、考えた
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by exist2ok | 2005-05-15 23:05 | 音楽

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シンフォニー・ホール(寂れてるよな、、、この前、三人くらいで工事してました。いつ終わるんだか知れない)

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ハリコフ・オペラ・バレエ劇場、通称“ハトープ”(けっこう大きいですね)
今月は大作が目白押し。
すでにリゴレットは終わってしまったが、11日にはイル・トロバトーレ、12日はペトルーシュカ、春の祭典(バレエですよ!)、15日にはショスタコーヴィチのバレエ、17日はボリス・ゴドゥノフ(ほんとに出来るんかい?!)、その先にもアイーダ、トゥーランドットがある予定。

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日曜日には戦勝記念のためか劇場前でウクライナ舞踊をやっていました。


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by exist2ok | 2005-05-09 21:13 | 音楽

音楽の話を。

当地ハリコフにはハルキフ・フィラルモニアというオーケストラがちゃんとある。詳しいことはまだロシヤ語が分からないし、表記がウクライナ語なので輪をかけて不明である。一応毎週土曜日18時からまともなクラシック音楽のコンサートをしている。
レパートリーは、二月からもらっている予定表をざっと見ても、シェエラザード、プロコフィエフの「古典」、ヴァイオリン協奏曲二番、ラヴェルのピアノ協奏曲、左手のための~、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第四番、ラフマニノフ交響曲第三番、サン・サーンスのピアノ協奏曲、動物の謝肉祭、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲、ブラームス交響曲第二番、モーツァルト交響曲第三十六番「リンツ」とまあ、まともと言っていいと思う。
これってロシヤの伝統なのだろうけど、始まる前に女の人が出てきて作曲のあらましとか曲の構成とかを簡単に説明してカッコよく演奏者を紹介する。ビデオで見たことあるけど昔なら「ナロードニィ・アルチースト・サヴェーツカヴァ・サユーザ、ほにゃらら」って具合に言います。

演奏の質になるとこれはしばしば結構奇妙な音がオーケストラのそこかしこから聞こえてくる。オーソドックスな曲を演奏するといっぺんで粗が見えてしまう(きこえてしまう)。
ところがユーリー・ヤンコという専任の指揮者がなかなかの名人で、この弱小オケからたまに結構ドッキリするような響きを引き出す。ロシヤの特質でもある例のジャーン、ドンデンガンデンという感じの豪快な音も健在なのだが、この指揮者はここぞと言うときに、音を纏め上げてギュルギュルって感じで猛突進かけたりできる。弱音の細部の詰めがコンドラシンみたいにちゃんとなっていないので(そりゃ無理か)、音楽が雑駁な感じがするのはもうしょうがないと言う気はする。ウ・クライナなんていうそもそも「隅っこのとこ」なんていう名前の国の、さらに地方の都市で演奏しているのである。これはもうやる気の全くない楽団をなだめてすかして練習してるのじゃないかと容易に推察される。お金があったら、お年寄りの団員には気持ちよく年金をあげて腕の確かな若い演奏者をつれて来れるのだろうけど。半分マフィアのにわか成金はこういう文化事業にお金を出すことは全くしないのでどうにもならない。自分に金があったらマーラーとショスタコーヴィチばかり演奏するオケにしてみたい。

そんな感じで今一なのにもかかわらずこのオケは専用のシンフォニー・ホールをちゃんと持っている。ところがこれもまた現在修理中であり、隣の(おそらく室内楽用の)小さいホールで演奏会は行われるものだから反響音がかなりデッドである。天井が低すぎる。前から十数列分しか席がなく、まあせいぜい三百人が限度という広さです。修理はいつ完了するのか不明、というか継続しているのかも不明。だって平日通りかかっても作業しているの見たことないもの。

文句のほうが多いのだけど、でもないよりまし(というかそれ以上のレベルではあるし)なのでたまに行きます。第三世界は芸術の値段が安いのが良いね。最高でも15グリブニャ(およそ300円ちょっと)。

あと、別の場所にはオペラ劇場もあって(これはちゃんと堅牢なつくり)日常的にバレエとかオペラとかやっている模様。今月はバレエばかりでしかも聞いたこともない作曲家の作品なので敬遠してます。二月はヴェルディのオペラとかちゃんとやってたのできいておけば良かったと少々後悔。しばらく通ってからいずれ報告書くつもりです。


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by exist2ok | 2005-04-28 20:41 | 音楽

東京交響楽団 東京芸術劇場シリーズ 第77回

あるサークルに投稿したものの再掲なので「ですます」調です。


指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ヴァイオリン:ヴァディム・グルーズマン
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品35
ショスタコーヴィチ/交響曲 第10番 ホ短調 作品93

直前まで煮えきらず行こうか否か迷った挙げ句でした。実際行ってみると当日券はS・Aのみで断念しかけました。直前に戻ると、Cでキャンセルが出、それをゲット。入りは8割以上は埋っていました。
結果からいうと、大当たり! いままで生できいた全てのショスタコ体験を遥かに凌駕する圧倒的名演だったといえます。

ヴァイオリンのグルーズマンがウクライナ出身だったというのはご愛敬。通俗名曲は苦手でこれゆえに二の足を踏んでいたせいもありますが、チャイコンは悪くありませんでした。東京交響楽団、こんなにカチッとした演奏をする集団だとは知りませんでした。しかし、それは次のショスタコ十番の前座でしかなかったことを思い知ります。

パーヴォ・ヤルヴィは九年ぶりの日本登場とのこと。なんでこんなすごい実力の持ち主がいままで日本と関係が薄かったのか疑問です。全体としてアウトラインのしっかりした、一本筋の通ったイメージ。そこに緩急自在な彫りの深さとアクセントのはっきりした点が特徴的でした。スタイルもショスタコの演奏史をしっかり踏まえた正統なもので、けっして楽譜だけに忠実で表面的な音楽ではありません。DSCHの主題で全体主義の不気味な息吹を感じさせる演奏を生きているうちに「生」で聞くことが出来るなんて誰が予想したでしょう。この手のスタイルはいまの音楽界からは消えてしまったものだと思っていました。

東京交響楽団もすごい。なんて安定感のある、それでいて消え入りそうに繊細なピアニッシモだったでしょう! そしてここぞとばかりに大音響へと移って行ける懐の深さ。音も大音量なのに割れたりすることなく、きれいな金管です。このオケからは日本では決して聞いたことのない貫禄すら感じられました。
また、今日は本当にソロ・パートのうまさが光ってました。コンマスをはじめ、ピッコロ、フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ティンパニ。自分で気付いただけでもこれらのパートを担当した人たちのソロが異常にうまかった。ショスタコは平板じゃだめで、ある意味陳腐なくらい大袈裟にしなければうまく行かないのですが、そういうことを心得ているようで気持ちが良いくらいグロテスクな強調をきかせてくれました。
自分は日本のオケにはまったく期待していなかった口だけに、いつのまに在日オケがこんなに上手くなったのか不思議です。

来週はヤルヴィがR・シュトラウスの英雄の生涯を聞かせてくれますが、予定で二日とも行けないのが残念です。


すみっこ(ウクライナ)で見た、聞いた、考えた
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by exist2ok | 2004-11-23 14:19 | 音楽



メキシコ、N.Y. L.A.そして現在はウクライナのハリコフ市に住むおがわがお伝えします。コメント・TB大歓迎です。どんどん絡んでくださいね。
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