ライカ犬、とか
ネットを見ているとたまに面白い物を発見する(注)。ライカ犬のクドリャフカのお話。ちょっとほろりときました。
非常に薄いところで他人に愛想良くしている内に、人に共感しない人間になってきた、と我ながら思う。無感動に気が付くと気が滅入る。しかし、こうした半鬱状態は日本を出たとたん取るに足らないものになってしまう。日本人には”ひきこもりの素質がある”というが。 感傷としての日本人、をどこまでも殺し尽くすこと。その準備をする為にぼくは”能”を見てる、といったら突飛に聞えるだろうか? ぼくにとって少なくとも、能は感情的自己同一化の反復のためにあるのではない。外側からの確認するべきリファレンスである。 (注)かといって、価値があるという意味とイコールではないので残念だ。ここまで多くの有象無象がネットで個人の”つぶやき”を披瀝し、その背景を探ることなしにはそれらを理解することがほとんど不可能になってしまった現在、受け手の自分の中でそれらを纏め上げることにすら困難を感じる。結果、すべてはよそよそしいものに変化する。ぼくはもう人を理解しようとしなくなる。
by exist2ok
| 2004-09-10 05:23
| 雑感
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